Tokyo, 2011
私の日常はだいたい朝6時ごろ子供たちが起きてきて、そこからさっそく慌ただしい時間がはじまります。朝食の支度、着替え、歯磨き、送り出し。なんやかんや。その後自分が大学にいくまでの束の間に脇目も振らずに洗濯と掃除をして、それから自転車で学校。の途中で、今日はPTA会費の集金日だよ〜!とママ友から電話がかかってきたり、日によっては展示予定作品のサイズ確認の電話だったり、来週から2週間サンクトペテルブルグに行けませんか?という撮影依頼の電話だったり、電話が運んでくる話題の唐突さにはいつまでたっても慣れないよと思いながら、大学についたら教授から大量のハンドアウトコピーの指示。コピー機の前で仕上がりを待つ合間に来週提出予定の課題『ギリシャ詩人サッフォーの受容のあり方』について考えて、いるつもりが気付くといつの間にか今晩の夕食の献立を考えてたりする。
それで我に返るまでほんの少しの間「ええと、なんだっけ、私は今、どこに。」と一瞬の間が空いてそういうときに窓枠に溜まったほこりと外の新緑とか、机に並んだ鉛筆立てとマグカップとか、白い素っ気ないカーテンが風でふくらんで床にさしこむ陽射し、とかそういう光景が理由もなく目に入ってくる。
それからすぐに我に返って時計を見ては「やば、急げー!」と階段を駆け上がっている。めまぐるしく過ぎ、取り立てて何も特別な事が起らない毎日のすべてを記憶するのは無理だけど、一瞬の間に入り込む特に意味のないようにみえるは断片的なシーンは、いつまでも記憶に残る。そういう何でもない日常の何でもなさの断片をとにかくたくさん集めたい。手の中に残したい、そういう気持ちが、私にはあるのかもな、と思います。
PRELIBRI 一之瀬