EDAYAが本を作るときいて、一体どんな本になるのだろう、それが見えないと応援しにくいなぁと思っている人も多いかもしれないと思って、今日から少しずつ、私たちがどんな本を作りたいと思っているか、ということを書いていこうと思います。集まる資金次第ではあるのですが、「エッセイ+作品集+CD」が今回私たちの理想としている本の構成です。
EDAYAの第一号プロボノであり、現在はシンガポールから遠距離でサポートし続けてくださっている肥留川さんによると、「貴重なカリンガの調査の内容、村での子ども達の音楽教室の話、EDAYAを立ち上げた時の苦労話?(どうやってデザインのレベルを上げていったのかとか職人さんがやめてしまったことや)、EDAYAとして気を付けていること(工芸品にならないようにとかフィリピンでの販売は最後にしたとか)後は、なぜNPOではなくて企業にこだわったのか、エシカルジュエリーと呼ばれることへの違和感などがEDAYA初期の頃の話で、私が聞いていて面白い!!って思った内容です。」とのこと。3年で変わらなかったこと、変わったこと、色々ありますすが、一つ一つの決断に寄り添う思考の流れみたいなものは、本全体を通してきちんと追っていきたいと思っています。
(2013年3月開催のEDAYA JOURNEY展 Soul of Kalinga Musicのスタッフ。肥留川さん(下段左から2番目))
まずはエッセイの部分ですが、EDAYAのチームや作品(アクセサリーだけでなくイベントなども含め)の全ての根底にある哲学を、たびたびチーム内で議論として挙がってきたテーマや問題提起をもとに1つ1つ掘り下げていきたいと思っています。それは、本が完成したあとも、その本を用いて、たくさんの議論が生まれる、そんな本を目指しているからです。ただのEDAYAの活動の事例紹介にしようとはこれっぽっちも思っていません。
EDAYAの考え方の一つに「インタラクティブの連続」というものがあります。EDAYAのチームは小さいですし、またコアプロジェクトだけを見れば、フィリピンの山岳先住民族カリンガの竹楽器文化の継承と、固有名詞ばかりの、とても限定的なプロジェクトに見えます。でも、私自身は、もともとマイノリティーのエンパワーメントという大きな社会問題をアートという人の心を動かす媒体で考えていきたいと思っていて、そのスケールのギャップには実は何度も頭を悩ませてきました。ここでEDAYAの考える「社会的インパクト」の議論も出てくるのですが、それはひとまず置いておいて続けます。
「マイノリティー」を時の意味通りで考えれば、少数者、そもそもマジョリティーを対象とした事業とはスケール感が異なってきます。また「マイノリティー」の中でも最初のターゲットとして取り組むことになった「少数民族」、例えばその「よさ」とは何かを突き詰めれば、その独自性であり、それをざっくりと「文化」というのだとして、当然のことながら、1つ1つの地域文化、民族文化は限定的なものです。つまり、スケールしたとしてもその規模感は、例えば、全世界の貧困層のエンパワーメントと比較すると小さくしかなりえないのです。そして、その独自性がゆえに、プロジェクトのコピー&ペーストも難しい。
(例えば、カリンガ族にはカリンガ族の竹の扱い方があり、楽器がある)
でも、私はそれでもマイノリティーのエンパワーメントで社会への大きなインパクトを生み出したいと思いました。なぜか?それは私自身が、生まれつき左耳が聞こえないことで、感じてきた人々の間に透けて見えるちょっとした差別の目線、それが大嫌いで、またマイノリティーだから、という理由で本質的な良さを対等な目線で周りから理解してもらえないことに違和感を感じ、どのカテゴリーのマイノリティー(障害者、LGBT、少数民族、引きこもりなど社会のレールから外れてしまったと思われる人、逆にイノベーティブ過ぎて誰にも理解してもらえない考え方の持ち主も入ると思う)の人々にとってもそれは同じだと思ったからです。結局は自分たちらしくいられないこと、自分たちが本当はその仲間に伝えていくべきものを、世の中の流れに巻き込まれる中でできなくなっていくこと、それが恐ろしいことなのだとしたら、それをなくす大きなムーブメントを作っていかねばと思ったのです。
それで行き着いたのが、「インタラクティブの連続」という考え方でした。私たちは、まず自分たちにゆかりのあった「フィリピンの山岳先住民族カリンガの竹文化」についてしっかりとユニークネスを追求し、本質を紡いでいく。限定的な場所での限定的なことをきちんとやってのける。でも、そんな私たちの生き様、あり方を見てインスピレーションを受け、私もやってみよう、自分の意識を変えてみようと考えてくれる、あらゆるカテゴリーでのマイノリティーが増えるように、様々なエグジットを用意し、それぞれのエグジットにインタラクティブな要素を加えておく。(ここの詳細も後日ご紹介できれば嬉しいです!)そうすることで、少しずつ「限定的」なプロジェクトがアメーバ状に広がっていき、ムーブメントとなる。
(EDAYA2014年の作品。少数民族というマイノリティー発の作品を今の時代を生きるマイノリティー(=未来を切り開くイノベーター)へ届けるというコンセプトで展開。「時代に迎合しない人々へ」というステートメントと一緒に発表した。「マイノリティー」の本質にせまり、その本質でつながりあえるよう、別カテゴリーのマイノリティーを、インタラクティブに繋ぐ装置としてのアクセサリーということを考えた。)
でも、最近は、それはマイノリティーや文化の軸を差し置いたとしても、「インタラクティブの連続」が大きな力を生む、というのはそうなのかなぁと思ったりしてもいます。なんだかんだ人が最も力を発揮するのは、「自分のため」か「自分の身近にいる人のため」に動いた時だと思っていて、ムーブメントとはそもそもその1対1、1対3くらいのつながりが横に横に繋がって生まれるものなのではないかなぁと。
(そんなことを思って作った今年のインスタレーション作品「wisdom junction」「わたし」と「社会」の関係性を改めて思い起こしてほしいと制作した。)
抽象的になってきましたが、私が、言いたかったのは、今回の本は、その最初の「1」を生み出す作業なのだと思っています。そして本当の価値は、その「1」が「3」になり「9」になり「インタラクティブ」が「連続」していった時にはじめて測られるべきだとも。クラウドファンディングの方法を用いたいと思った根底にはこんな思いがあります。たくさんの人たちにインスピレーションを生み、巻き込み、一つのムーブメントを生み出す、その壮大な「時代の経験」なるであろうことの最初の1歩がこの本つくり、そんな風に思っています。