翻訳者推薦文 2019.09.03 (part 2)
―シュリー・エムという人物
実は、スイスではじめて会ったときのシュリー・エム氏の第一印象は、正直なところ普通だった。私が期待していたのは修行者のような厳しさと神々しさのオーラを持つ人だったが、彼の立ち居振る舞いは謙虚そのもので、あまりの腰の低さに参加者の一人かと思わせた。しかし、話し込んでいくほどに、彼という人間の底知れぬ深さが明らかになっていった。巡礼では正午前に講話が毎日あった。私は彼にこう質問をしてみた。
「本を読んだところによると、あなたは境地の高みに到達した人のようです。これ以上ない悟りを開いたと言えますか?また、それなら毎日の修行は必要ないのですか?」彼は答えた。
「そのような境地に私は達したと思っています。それでも、修行は毎日します。なぜなら、自己がどれだけ自由になっても、世界で生きているかぎり、汚れを落とすための定期的な維持が必要だからです。それに修行はもはや私の人生のパートナーです。ただ、純粋な喜びのためにやっています。」
非の打ち所がない答えよりも説得力があったのは、答えの内容を体現する、シュリー・エム氏の日頃からの立ち振る舞いだった。彼は1つの波もなく静かで透明な、しかし底が見えないほどに深い湖のようである。その水を覗き込んでいると、こちらの心にも静けさと穏やかさが広がる。質問という石を投げ入れれば、深い底の知識の貯蔵庫からすぐに答えが返ってくる。(続く)
※第3回目は2019/09/06に掲載予定です!