・監督 コービー シマダ が 20年前に脱サラして アメリカに移り住んだワケ
・なぜ俳優に?
・俳優からディレクターへ
今となってはロサンゼルスに20年以上住んでいますが、元々自分自身「海外に住もう」とか「住みたい」と思ったことはなかったです。
現に日本大学経済学部を卒業して、Dellコンピュータの営業として働いていました。
毎日満員電車に揺られ、夜も終電くらいまでいつも働いていました。
でも一通のeメールが自分の人生を変えました。
そのeメールは高校時代の彼女からのもので、
というものでした。
スイス人と付き合っているという噂は聞いていたのですが、その頃の自分は国際結婚ということが雲の上の話のような気がしていて、まさか昔付き合っていた人が国際結婚をして、海外に移住するということが起こるなんて思ってもいませんでした。
そのメールは仕事中に届いたのですが、それに衝撃を覚え、「なんで自分は日本という限られた場所で生活をしてるんだろう」という思いが湧き上がってきました。
その日は残業する気にもならず定時で帰り、その日に
と心に決めます。
会社の上司にその理由と共に辞めたいということを正直に話し「笑われるだろうな」と思っていたところ意外な答えが返ってきました。
その言葉に背中を押され、自分は海外に移住することにしました。
そのことは今回の映画「Dr. Bala」の主人公であるカズが、ある講演会に衝撃を受けて東南アジアでの国際協力の一歩を踏み出したことに、私が強く共感した大きな理由です。z
自分が海外で何をするか考えた時に、
自分が好きなこと
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テレビとかエンターテイメント
↓
でもカメラとか撮ったことないし、編集とか技術的なことは何もわからない
↓
それなら俳優なら専門技術とかいらなそうだし、自分でもできそうだ
↓
俳優になろう
↓
じゃあハリウッドに行こう
という、何とも単純な発想で脱サラをして1999年にロサンゼルスに移り住みました。
俳優の学校とかにも通ったりして、そのツテなどでエキストラ募集の話を聞き、ラストサムライ、スパイダーマン2、オースティンパワーズ、ワイルドスピード、インセプションなどエキストラの仕事は色々やるチャンスに恵まれたのですが、演技を実際にやってみると俳優というのがとても難しい職業だということを痛感し、しかも自分はカメラの前に立った途端にかなり緊張してしまうという致命的なことがわかりオーディションは全然受かりませんでした。
受からないなら自分で、ということで俳優学校の友達と一緒に自分が監督、脚本、主演、編集というあまりにも自分勝手な映画を撮影し、完成させました。
その映画”BE HONEST”が日本のIndies Movie Festivalの予選を通過してビデオとなり、審査の一環としてではありますがTSUTAYAに並んだりと制作する側の面白さに魅了され、それ以降、カメラの後ろ側の仕事やるようになりました。
雑誌や新聞などで募集している学生映画や自主映画に照明、音声、カメラなどスタッフとしてボランティアで参加し、少しずつ撮影のやり方を覚えいき、2003年に KOBY PICTURES という映像制作会社を立ち上げ、映画、ドキュメンタリー、企業向けのプロモーションビデオ、CMなどを作りつつ今に至ります。
※ 今後も活動報告にて、映画「Dr.Bala」の製作チームメンバーについて詳しくご紹介していきます。多種多様なメンバーで構成されているので、どうぞ楽しみにお待ち頂ければ幸いです。(新しい活動報告がアップされると、すでにご支援頂いている方には通知メールが届きます。)