色街写真家・YouTuberの紅子と申します。
このたび 第二弾の本格写真集を出版するため、クラウドファンディング・プロジェクトが始動しました。2023年4月に企画した第一弾プロジェクトでは、カメラを48歳から独学で始めた私に326名様が4,538,900円をご支援くださいました。多くの励ましを頂いて、無事に写真集をリリースすることができました。
この場を借りて、改めてお礼申し上げます。
<元アサヒカメラ編集長・佐々木広人氏をして「自分が編集長の時に会えなかったことが悔やまれてしかたがない」と言わせた第一弾写真集>
第一弾写真集プロジェクトからおよそ2年近く経ち、残りわずかとなった色街の面影はさらに失われつつあるようです。
<2024年5月に取り壊された吉原の赤線建築>
この想いは今も変わることはありません。面影が失われるスピードに抗うため、全国を飛び回っています。
「女が遊廓跡を訪れていいのだろうか…」と、最初はおどおどしていた私でしたが、撮影先で勇気を振り絞って声をお掛けすると、少なくない地元の人びとがご厚意を示してくださいました。ご縁にも恵まれ、これまで非公開だった遊廓内部に足を踏み入れることも…。部屋の片隅に置かれたままの遊女たちが使っていたであろう道具類を目の当たりにして、当時生きていた彼女たちの想いにも触れることができたような瞬間もありました。
「50になって、後悔を抱えたまま死にたくない」、そんな想いでシャッターを切り続けてきました。自分を見据えて続けてきた活動だったのに、気づけば沢山の人に助けられました。今回のプロジェクトは、忘れ去られていた当時の人びとに寄り添うと同時に、活動を支えてくれた多くの人びとへ感謝を伝えたり、他の誰かを支えたりできるような企画にしたいと思います。
<吉原で街ガイド。孤独を抱えていたソープ嬢時代を振り返りました>
目標達成した暁には出版記念パーティを企画予定しています。また後述するように、写真集はチャリティを兼ねています。プロジェクトに関わる皆さんと喜びを分かち合い、また少しでも誰かを支える機会にできればと思います。
皆様のご支援どうぞよろしくお願いします。
<現在もかつての街並みが残る京都府八幡市・橋本遊廓>
「こういう人を見ると娘はちゃんと教養や教育しっかりやらなきゃと思う」「お前のようなバカな女がいるから世の中がダメになる」「あなた頭大丈夫?」「こんな親に育てられて子供がかわいそう」
いずれも彼女のYouTubeに投げかけられたコメントです。元風俗嬢の過去を後悔している、そう公言する彼女ですが、後悔は「もっと違った人生があったのかもしれない」という過去の選択と、「人に胸を張って言えなかった」という過去の境遇に向けられたもの。過去を克服しようとわずかでも前進を試みる人に向けて投げかけられる先のような言葉が、彼女のような立場にある人びとに沈黙を強いてきたのではないでしょうか?
必要以上に美化することも、反対に卑下することもなく、淡々と過去と対峙し続ける紅子。現役ソープ嬢、ストリッパーらが彼女を慕い、信頼してポートレートを撮影依頼するのは、同性が理由だけではないでしょう。
<水戸かな(AV女優、ストリッパー) 撮影・紅子>
<本田きく(現役吉原ソープ嬢) 撮影・紅子>
<牧瀬茜(ストリッパー) 撮影・紅子>
第一弾写真集リリース後もさらに精力的な撮影活動を続けています。活動スタート以来、撮影地点は約150箇所に及んでいます。
<これまでの撮影地地図>
取り壊される刹那に壁からのぞく、すり減った手摺りや階段。そこに触れたであろう数え切れない男と女。彼らの息づかいまでも感じさせる写真たち。
ファースト写真集以上に充分に練り上げられた構想のもと、今この瞬間も精力的に撮影が進められています。
ファースト写真集より広範囲に全国各地の遊廓、赤線青線、歓楽街などを撮影。これまで公開されることがなかった場所や店舗内も撮影。
写真集の仕様も前回160ページから180ページに増加予定!
前回から撮影期間2年間の集大成となります。
紅子写真が放つ魅力の一つが、建物に息吹を与えるセルフポートレート。元ソープ嬢という経歴だからこそ持ちうる圧倒的リアリティ。セルフポートレート特別写真集は写真集購入者だけの限定セット販売です。
クラファン開始後、「セクシーな写真しか撮って貰えないの?」「あまり露出の多い衣装はちょっと…」といったお問い合わせやご感想を頂きました。撮影シチュエーションなどは柔軟に対応できますので、ご質問やご不安などありましたら、プロジェクトTOPページにある「起案者にお問い合わせ」ボタンからお問い合わせ下さい。3両日以内にお返事致します。
作品を通じて過去の記憶を残すだけではなく、現在進行形で課題に取り組んでいる人びとを応援できるプロジェクトにします。写真集の売上の一部を女性支援団体、遊廓に関連する史跡を保全している個人・団体に寄付します。(支援先と金額はクラファン終了後に公開します)。誰かを支えることができる写真集を目指します。
元吉原ソープ嬢、シングルマザー。48歳から独学でカメラを学び、全国の遊廓、赤線・青線、歓楽街など性風俗にまつわる街を撮影。2021年9月からYouTube活動を開始、現在、登録者4万人に迫る勢いをみせる。
プロジェクトの始動にあたって、各界から応援コメントが寄せられています。ありがとうございます! (随時更新していきます)
遺された遊廓跡は日本の歴史の一部であり、そこには女性たちの哀しみと誇りが堆積している。
私はかつて吉原で働いていた女性たち、現役の女性たちに取材し、屋形船で交流したことがある。当たり前のことだが、それぞれの人生があり、深い思いがあることを知った。人はそれぞれの理由でその仕事に至り、かつてもいまも止まることなく人生は流れていく。来るものがいれば去っていく者もいる。建物は残るとはいえ、この文化貧困の日本にあって、いまでは貴重な遺産だ。
街を歩けばビルの乱立、どこに行っても同じチェーン店ばかりで、個性が消えていくのが非情な時代の流れだ。そこに写真という手段で時代を切り取り、遊廓と色街を歴史に刻み、記録していく作業は貴い。紅子さんの写真展に行って想像したことは、カメラレンズの先にある独特な建物の「遺跡」のなかで当時の女性たちの口から出ていた表面上の言葉ではなく、深く沈潜した豊穣な思いの数々だ。そこには私たちと同じ生身の人間がいた。想像力を働かせて女性たちの人生を追想する。
「色街写真家」は希少な仕事だろう。やるか、やらないかではなく、やらねばならないという決意が見える。次なる写真集のためにぜひみなさんの志をカンパとして寄せていただきたい。
有田 芳生(ありた よしふ) 衆議院議員、ジャーナリスト。著書に『歌屋 都はるみ』『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(いずれも文春文庫)、『誰も書かなかった統一教会』(集英社新書)など多数。
人が講演などをする時、「えー」などと言って始めることが多いが、こういうのを「フィラー」というらしい。ところが紅子さんは、YouTubeで話す時にフィラーを使わない。「みなさんこんにちはー、お元気でー、しょうかー」という独特の言葉遣いをする。私が魅せられたのは、この独特の、いわば紅子しゃべりであった。
実際に会った時、あれはどこかで学んだのですかと聞いたが、特に意識していないけれど友達にも聞かれることがあると言っていた。おそらくこの紅子しゃべりがなければ、紅子さんはだいぶ印象の違う人になっていただろう。
私はそういう話し方の紅子さんのファンになってYouTubeもずっと観てきた。ソープ嬢をしていたことを後悔はしているが、なかったことにはしたくないと紅子さんは言うが、私はそれでいいと思う。いつか文章にして自分の来歴を語ってほしい。もっとも、その文章にはあの独特の語り口が反映されないのが残念ではある。
小谷野 敦(こやの あつし) 1962年、茨城県生まれ。東京大学英文科卒。作家・比較文学者。著作に『日本売春史』『江戸幻想批判』などがある。
私はここ10年ほど、日本の遊廓をテーマとして研究を行ってきました。「遊廓」とは、近世から近代の日本において、公権力によって営業を許可された性売買の空間です。大都市だけではなく、小都市も含めて日本列島全域につくられた「遊廓」は、現代に生きる我われが想像するよりもはるかに多かったのです。
昭和33年の売春防止法完全施行後、遊廓や私娼街で営業していた人びとは稼業の転換を求められ、例えば下宿業や宿泊施設、トルコ風呂など、さまざまな業種に転業していきました。そして、その多くは現在すでに営業を停止しており、解体される建物も非常に多いという実情があります。しかしながら、こうした建物は日本における性売買空間の生き証人であり、紅子さんが撮影される写真は今後、確実に貴重な歴史的資料ともなるでしょう。
戦前まで日本では売春が公認されており、男性が買春することが「当たり前」の社会がつくられてきました。紅子さんに投げかけられる心無い言葉は、女性を買いつつ、彼女らを「淫売婦」などと貶めてきたかつての日本人の感覚を引き継いだものです。こうした感覚、価値観は現代社会にも確実に暗い影を落としています。
紅子さんの写真は美しく、またそこで生きた人びとに寄り添い、人びとの息遣いを再現するような素晴らしいものです。紅子さんの写真に感銘を受けた、一ファンとしてこの写真集プロジェクトの成功をお祈りするとともに、皆様にもぜひ本件の趣旨に賛同していただき、ご支援いただけるようお願い申し上げます。
加藤 晴美(かとう はるみ) 博士(文学)。東京家政学院大学現代生活学部 准教授。著書に『遊廓と地域社会―貸座敷・娼妓・遊客の視点から―』などがある。
誰が何と言おうと、今回も「出版しなければいけない」写真集です。「出版したほうがいい」ではありません。
前作『紅子の色街探訪記』は実に衝撃的な作品でした。全国各地の消えゆく遊廓色街や昭和の風俗街を撮り歩いた記録。その希少性もさることながら、当事者だった紅子さんだからこその目線や色彩感覚、光と影が存分に表現されていました。ルポルタージュや体験記、探訪記は過去にもありますが、多くは第三者や客の視点で描かれたもの。確かに貴重な資料なのですが、何かが足りません。そこを補って余りあるのが、紅子さんが提示する「圧倒的な当事者性の記録」なのです。
構図や露出、色使いの至る所に、当事者だった紅子さんならではの「眼」や「感受性」が色濃く反映されています。それらはまるで当事者たちの声にならない声や、複雑な思いの表れのようです。紅子さんが自身の過去を明らかにし、誠実にレンズを向けたことで、昭和から今日に至るまでの当事者たちの「内なる声」が表現されたのではないでしょうか。
全国の遊廓色街や昭和の風俗街は消えつつあります。しかし、都市の再開発や浄化をいくらうたおうと、過去を消し去ることはできないし、むしろしっかりと受けとめる必要があると思います。そこに人々がいて、それぞれの人生があったのですから。
街は全国津々浦々で、思いのほか早く消えています。だから1点の写真集では足りないのです。紅子さん、急ぎましょう。
佐々木 広人(ささき ひろと) 編集者、『アサヒカメラ』元編集長。1971年、秋田市生まれ。『週刊朝日』副編集長、『アサヒカメラ』編集長、『AERA dot.』編集長などを経て『朝日新聞社』を退社。現在はメディアの運営・制作・編集のアドバイザーや大学講師を務めながら、執筆、編集、講演も行う。日本写真協会会員、デジタルアーカイブ学会会員。
初めて会ったのは2022年の夏だった。そのとき彼女は初めての写真展を開く直前で、不躾な言い方をさせてもらえば、紅子さんはまだ何者でもなかった。
それから2年しか経っていない現在、写真展はもちろん公式YouTubeチャンネルには数万人の視聴者がついているし、トークイベントは常に大盛況、「紅子さんが案内する吉原ウォーク」みたいな催しもあっというまに予約満員。すごく立派な第一写真集が出版されたのは2023年11月だったけれど、それから1年も経たないうちにもう第二写真集のクラウドファンディングがスタートするという。各地の撮影やイベントに飛び回る過密日程はツイートを見ているだけで心配になるけれど、激変した日常にいちばん驚いているのは彼女自身かもしれない。
紅子さんのファンは、彼女とその写真をいったいどう見ているのだろうと、ときどき思う。男性ファンの中にはいにしえの遊郭や現代のソープの写真が並ぶ展覧会を観て、その足でソープに駆け込んだり、デリに電話して女の子を抱いたりするひともいるのだろうか。僕がもし吉原のソープですっきりしたあと、石鹸の爽やかな匂いを漂わせてカストリ書房の展覧会に寄ったら、そこにいる女性ファンは微笑んでくれるだろうか。それとも冷ややかな軽蔑の目線を浴びせるだろうか。
哀愁に満ちた遊郭街や、キッチュなソープ街の写真を撮る人はいっぱいいる。風俗で遊ぶのが大好きなひとはもっといっぱいいる。でも、その2種類のひとたちは、あんまり重ならない。僕が紅子さんの写真を好きなのは、彼女が異なるふたつの世界観をつなぐミッシングリンクのような存在だから。それは「けっして好きでやってたんじゃない長い風俗勤め」に裏打ちされた、画面から滲み出る美しさと悲しみ。セックスの快感とカネで買われる苦痛。売春で生きる女たちへの、家族愛にも似た寄り添い。彩度を上げたプリントの奥底に、そういう幾層もの思いが重なって見えてしまうからなのだろう。
「元ソープ嬢の色街写真家」と肩書きのつく紅子さんだけど、10代後半で始めたピンサロ勤めを皮切りに32歳で吉原のソープを引退してから、カメラを手にして「色街」を歩きまわりはじめたのが2020年代になってから。そのあいだに「ずっと息を潜めて、ずっと後悔しながら会社員として働いてきた」(本人談)という20年近くの年月が横たわっていることを忘れてはならない。それが「後悔ばかりしながらいま50になって、このまま死にたくない、そういった思いを写真にぶつけている」という紅子さんの闘いかたなのだ。
都築 響一(つづき きょういち) 1956年、東京生まれ。ポパイ、ブルータス誌の編集を経て1996年刊行の『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、のちちくま文庫)で、第23回木村伊兵衛賞を受賞。著作に『東京右半分』『圏外編集者』などがある。
性を売る仕事に従事する多くの女性が、家族や友人にそのことを隠しています。自分にも周囲にも言い訳しながら働き、肯定的には語りづらいものです。時にバレて、泣かせたり、蔑まれたり。
でも、その仕事に浸かれば浸かるほど、隠した自分と隠された自分が、どちらも寂しいと感じます。
紅子さんの写真には、建物や部屋に染み付いた匂いや記憶までもが写し出されているようです。紅子さんは色街を撮りながら、寂しかった自分を抱きしめているよう、それだけでなく、同じ寂しさを抱えて生きた数知れぬ女性たちのつかの間の夢やよろこび、そして寂しさを写し、それを抱きしめているように感じます。
紅子さんにしか撮れない一枚一枚の大切な記憶と記録が形として残ることを願い、私もこのプロジェクトを皆さまとともに応援したいと思います。
牧瀬 茜(まきせ あかね) ストリッパー。舞台活動のみならずエッセイなど執筆活動も行う。著作に『歌舞伎町で待ってます 風俗嬢れもんの青春物語』がある。
この10年ほどで遊廓の撮影に大きな変化が訪れている。というのも、被写体である遊廓建築そのものが多くの土地で失われ、街景を収める引いた構図が成立し得なくなってきたのである。必然的に寄るしかない。寄ると情報量は減るが、その分だけ撮り手の意識が浮き彫りとなる。意識に乏しければ、被写体から引き出せる情感もまた希釈される。
その意味で、どの過去よりも撮り手が試される時代が訪れている。紅子さんの写真に潜む当事者性が放つ圧倒的な情感、換言すればリアリティは、遊廓建築の喪失と連動しているのである。
確かに皮肉的ではあるが、紅子さんという撮り手の登場を私たちは喜ばなければならない。「建築は総合芸術」と喩えられるが、それゆえに喪失は物質のみならず、記憶や感情さえも巻き込みながら帷の彼方へ消え去っていこうとしているからである。
写真を一瞥して気づくように、紅子さんの視線は、往時そこに立っていたであろう遊女のそれである。紅子さんの写真を眺めるとき、私たちは遊女の眼になる。同時に遊廓史の末端に連なっている私たち自身の像も多重露光されている──
芸術とは、ときに浮世離れして実利に欠いたものと見做されるが、本来そうではなく、私たちが忘れかけている大切なものを教えてくれる。その意味で、紅子さんの写真が担う、遊廓史の継承に資する大きな役割を私は疑わない。
いま紅子さんの細い双肩には重責がのしかかっている。過去の桎梏を解き、独力で生き延びてきた紅子さんならば難なく背負って歩き続けるに違いないが、膝をついていっとき心と身体を休めるとき、そして再び立ちあがろうと未来へ手を差し伸ばすとき、せめて微力であっても応援したい。
渡辺 豪(わたなべ ごう) 発行者。遊廓専門出版社カストリ出版、同じく専門書店カストリ書房経営。1977年、福島県生まれ。2010年前後から各地の遊廓を撮影取材。撮影箇所は500箇所に及ぶ。日本テレビ『かたせ梨乃が進駐軍の前で踊り狂った時代…とマツコ』出演および歴史考証協力(2018年度ギャラクシー賞奨励賞受)。京都芸術大学非常勤講師。当プロジェクト主催。