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「森を見る力」(橘川幸夫・晶文社)出版記念会&未来フェスCFスタートアップ・パーティ

紹介します。遠藤諭くんと、林雄司くん。

 橘川です。参加者紹介です。

 遠藤諭くんは、元「月刊アスキー」の編集長、現在はアスキー総研の所長、林雄司くんは、「Webやぎの目」「デイリーポータルZ」などで、もうみなさんおなじみですよね。遠藤くんが80年代から90年代の日本のITシーンを牽引したアスキーの編集長として活躍されていたことは知っていましたが、彼が、あの、エンドウユイチだと知った時は驚いた。それは、僕が学生時代に注目していてすぐに消えてしまったマンガ家のダディ・グースが、矢作俊彦だと知った時と同じくらいの衝撃だった。エンドウユイチは、80年代のはじめに「東京おとなクラブ」というサブカル誌の編集長兼メインライターで、一緒にやっていた中森明夫くんより、エンドウくんの文章の方が才能を感じていた。

 僕の父親は新宿の小滝橋の方で小さな印刷屋をやっていて、ロッキングオンの初期や、「よいこの歌謡曲」などの印刷をやっていた。その関係で、「東京おとなクラブ」の特別号の印刷を頼まれたのだ。その時は電話でしか話してないが、ああ、君がエンドウくんか、と思ったことを覚えている。80年代の青山時代のアスキーやログインには、その時代の一番面白い才能が集まっていたのだと思う。なにしろ、社長の西さんは、アスキーに出入りすると、すぐに「うちに来ないか」と言うのが口癖だと言われていた。いろんな伝説があって、ある時、会社に行くとプリンターから印字物が打ち出されている。夜中に通信回線から侵入して、アスキーのプリンターを操作したらしい。西さん、顔を真っ赤にして「これをやった奴を探しだせ、社員にする」と言ったとか。

 アスキーには、70年代に渋谷陽一がNHKでDJやってた時に、エンジニアだった今泉洋がいて、アスキーネットを立ち上げたりした。今泉は現在は、武蔵野美術大学の教授。大学が忙しい時期なので来れないかもしれないが、たぶん、アスキー関係者は、いろいろ集まるのではないかと思う。

 林くんは、ネットのスラスプティック(どたばた)コンテンツの第一人者。Googleストリートビューにまで、怪しいハト集団としてのってしまった。

林くんの自選集はこちら。

 林くんは現在は、ニフティの社員だが、その前は、富士通のジーサーチという会社にいた。あれは90年代の末だったか、デメ研でカシオのPHS向けのメールマガジンの制作を受託して、その配信先の一つがジーサーチだった。ジーサーチの偉い方から「この企画に最適な担当をつけますよ」と言われて来たのが林くんだった。ネットのコンテンツがどうなるのか見えない時代に、林くんは、個人で、東京トイレマップとかやぎの目コラムを作っていた。彼は緊張するとすぐにトイレに行きたくなる体質で、恵比寿の「さいき」で飲んでる時も、いつも出口に近いところに座っていた。2000年ぐらいに、新宿のロフトプラス1で、はじめてトークライブをやると聞いて、みんなトイレは大丈夫かと心配したが、見物に行ったデメ研の亀田くんから「大変ですよ、客が行列していて、ロフトはじまって以来の動員だと言ってますよ」と電話があった。そのすこしあとに、僕の「20世紀企画書」という単行本の出版パーティを大阪でやった時にも来てくれて、その時は、林くんとまだ大阪にいた深水英一郎くんとのトークライブが実現した。

 とゆーことで、今もネットの最前線で活躍している皆さんが集まります。人間関係の贅沢を味わってください。

2014/01/20 02:32