橘川幸夫です。
イベントのクラウドファンディングというテーマでスタートした未来フェスCFですが、とりあえず出版パーティは成立しました。やってみて、いろいろ発見することが多くありました。これは通常の「クラウドファンディング」とは少し違う方向に向かうかも知れません。単なる「支援」や「パトロン」ということではなく、支援してくれた人がそのままイベントの参加者・当事者になる、というところがポイントかと思います。いずれにしても、今後の社会にとって、イベント・ライブの重要性は増すことと思いますので、模索を続けていきます。どうかよろしくお願いいたします。
イベントは量も大切ですが、あくまで質が大事です。今回は素晴らしい人たちが集まってくれました。ありがとうございます。
最年長は、子ども調査研究所の高山英男さんです。子ども調査研究所は、1960年代の半ばから神宮前で戦後子ども文化を調査研究し、多くの子ども関連商品の開発にかかわってきました。リカちゃん人形や人生ゲームなどの玩具メーカーや、食品、アパレル、メディアなどさまざまな商品開発を行ってきました。僕は1970年、大学生だった時に、ある書評新聞の読者欄に投稿した原稿を高山さんが読んで連絡していただいて出会いました。実は僕はもともと投稿少年だったんですw 高山さんは、もともと編集者でカバゴンこと阿部進さんを発見して「現代っ子」という概念を作ったり、松本俊夫さんの「映像の発見」という本を作ったりしていて、新しい人材を発掘するという、本来の編集者の視点と方法を持っていました。僕が、その後にやってきたことの基本的な方法は、高山さんのところで学びました。
子ども調査研究所は、メディアや人脈を通して声をかけた、無名の、時代の才能が集まっていました。そういう梁山泊のようなアップルハウスのような、そういう空間が時代を作る上では絶対に必要だと、僕は確信しました。東京の学生だった僕は、関西の学生で月光仮面というミニコミを発行していた村上知彦くんと、この事務所で出会いました。彼はその後、まんが評論家になり、ぷがじゃの編集長になり、いしいひさいちさんと漫金超という雑誌を作ったり、女子大の教授をやったりしています。学生時代からの友人ということで、仕事関係は抜きで、若い時は関西に行く時は、よく会っていたものです。その時代に、慶応の学生だったジブリの鈴木敏夫さんも、神宮前に来ていました。
今回は、大阪の村上知彦くんも来てくれそうです。高山さんも、高齢ですが、雪でも降らない限り参加してくれるとのことです。また、事務所に出入りしていた僕らより一回り下の世代の連中も各界で活躍しています。みんな忙しいので来てもらえるか分かりませんが、いろいろと声をかけています。
子ども調査研究所の事務所は、僕は社会に出てからも、何かあれば必ず立ち寄って報告したり、新しい情報を仕入れたりしています。そういう特段の用もなく、ブラっと寄れる場所があったことで、どれだけ救われたか分かりません。デメ研もそうなりたいと思ってきました。
高山英男さんは、戦後子ども商品文化史の証人です。マーケティング関係者は、ぜひ、以下の高山さんの話を聞いてみてください。
戦後子ども文化史(1) 廃墟と飢餓の時代から、高度成長期まで
(一般財団法人森永エンゼル財団・森永エンゼルカレッジより)