カミングアウトした小学校教師としてセクシュアル・マイノリティのために積極的に活動する“シゲちゃん先生”こと鈴木茂義さん。鈴木先生に今の学校現場の問題点とそれを乗り越えていく方法について聞いた。いじめに悩む子どもたちを救うために大人は何をすればいいのか−−−。
宇田川 『ぼくを燃やす炎』はいじめに苦しむセクシュアル・マイノリティの高校生が主人公です。鈴木先生は小学生を教えてらっしゃるわけですが、小学校の現場ではどうでしょう。たとえばメディアに出てくるステレオタイプなゲイ像をもとにしてイジメが起きたりするんでしょうか。
鈴木 よく聞く話ですよね。子どもたちのリアルな世界は小学校からエグいですから。ネットを見ればなんでも出てくるしエロ動画からなにからみんな見てますよ。先生たち自身も悪気があるわけではなくてもセクシュアル・マイノリティを傷つける発言をしてしまったりする。
宇田川 つい最近も学校の先生がセクシュアル・マイノリティの生徒がいる前で「オカマ」という言葉を使ったという事件がありましたね。
鈴木 先生も理解できてないんですよ、学ぶ機会がないですから。LGBTとかマイノリティに接してきたかという個人的な経験の有無に左右される。LGBTの子どもが自分の味方になってくれる先生に出会えるかどうかは、もう運でしかないですね。人権感覚を持たずに大人になってしまったような先生は子どもたちと一緒になって差別的な言葉ではやしたてたりする。よく保護者の人が言うんですよ。「いい先生に当たるのは宝くじにあたるより難しい」って。
宇田川 宝くじかあ……。子どもたちとしては先生がみんな当たりくじじゃないと困りますよねえ。そういう意味でも子どもの頃から性の多様性について教えるということは重要ですね。先生自身が子どもの時にそういう教育を受けてきちんとした知識を持っていればセクシュアル・マイノリティを揶揄するような事件は起きなかった。多くの人たちが求めていたにも関わらず新学習指導要領にセクシュアル・マイノリティに関する内容が盛り込まれなかったことは本当に残念です。
鈴木 ただ“抜け道”はいくらでもあるんです(笑)。学習指導要領に準拠しての指導は出来ませんが、手を変え品を変えすればいくらでもLGBTについて扱える。ただ、こういうテーマを指導出来るだけの教師としての授業の技量、子どもたちをまとめる学級運営の力があるかどうかというまた別の問題もあるんですが……。
宇田川 具体的には抜け道ってどんなやり方なんですか。
鈴木 その前にまずお話しておきたいのが今のLGBT教育の問題点です。最近の学校現場では「LGBT」について一生懸命教えようとするケースが見られます。でも僕はそれは違うと思うんです。大事なのはLGBTを通して何を教えるかということ。LGBTを入り口にして何を教えるのかというのが先生たちの役割のはずです。多様性とか、生きづらさとどう寄り添うかとか、そもそも男らしさ女らしさとはなんなのか、とか−−。そういうところを意識した上での入り口の指導でなければ。
宇田川 それはアクティビズムの世界でもそうで、LGBT、LGBTばかり言ってるとブームが終わった時にどうなっちゃうんだろうって思いますよね。人権の問題として捉えていって世の中の人権意識自体を底上げしていかないと。オリンピック憲章に性的指向による差別の禁止があることから東京オリンピック・パラリンピックまではある程度、このブームのようなものが続くと思います。ただ、オリパラが終わった後にどうなるのか。LGBTだけのことを考えた運動だと行き詰まると思うんですよね。
鈴木 五輪が終わったらなにもなかったことになりかねませんよね。だから、あくまでもLGBTを入り口にして多様性の尊重を語らないといけない。そのことを逆に考えると、さっき言った“抜け道”の話につながります。新学習指導要領にLGBTが入ってなくても、他の人権課題からLGBTに話題を広げられる。「こういう人権の問題について学んだけど、社会にはLGBTっていう人もいるよ。これも同じ問題じゃないかな?」っていうふうに子どもたちに投げかけることは出来る。学習指導要領にLGBTが記載されなかったのは非常に悔しいですけど、やり方はあります。
宇田川 なるほど、他の人権問題から入ってLGBTにも触れていけばいいのか。
鈴木 一番、親和性が高いのは道徳の授業で、公正公平とか平等とかそういう価値を教えるためにこういうお話がありますよという形で教えるのが一つ。それから、どこの教育委員会でも人権教育プログラムっていう冊子をたいてい作っています。それに基づいて授業を展開することも出来ます。そういう授業というのは先行研究をする実践校で行われています。それから自治体によってはNPOや地元の支援団体と連携しながら性の多様性を教えることに特化した取り組みも始まっています。
宇田川 言っちゃなんですけど、田舎でそういう新しい取り組みをやってるってすごいですね。日本も変わってきたのかな。
鈴木 地方は地元の優秀な学校を出た人が、地元の新聞社やテレビ局などに就職していることが多いので、ある意味でメディアの力が身近にあるんです。だから、なにか面白い取り組みをするとすぐに取り上げられて、ワッと人が集まってくる。そのあとも地元のメディアが息長く注目してくれるんです。そうやって人材がうまいこと噛み合うといっきに変化が起きてきます。
宇田川 なるほど!
鈴木 それから地方で長年、セクシュアル・マイノリティについての活動をしている人たちがいて、その人たちの年齢が高くなってきてる。そうすると、その人の同級生が役所や企業の中で偉くなってたりするんです。つまりお金も人もある程度、動かせるようになってるんですよね。
宇田川 カミングアウトするきっかけはなんだったんですか?
鈴木 当時、受け持っていた6年生の子どもたちが本当に個性的でエネルギッシュで、やんちゃでした。それで子どもたちみんなに毎日、「誠実であれ」とか「正直であれ」とか「しっかり考えて生きろ」みたいなことを言ってたんです。
宇田川 まあまあ、先生はみんなそういうこと言いますよ(笑)。
鈴木 子どもたちに評判が良かった授業に「正直コーナー」っていうのがあるんですよ。叱らないから、みんなが間違ってやっちゃったことを話そうという時間なんです。僕がまず自分の間違いを話すと、子どもたちもどんどん話してくれるんですよ。「ピンポンダッシュしちゃった!」とか(笑)。みんなじつは語りたいんです。子どもも大人もみんな。でもなんとなく語れない。
宇田川 そういう授業をしてくれる先生はなかなかいないなあ!
鈴木 でも、子どもたちにそんなこと言ってる自分自身はどうなんだと考えちゃったんですね。自分自身が誠実じゃないというのは、絶対、子どもに伝わるなと。それでいろいろ考えている時に「OUT IN JAPAN」という企画を知ったんです。
宇田川 フォトグラファーのレスリー・キーさんたちが多くのセクシュアル・マイノリティのポートレートを撮影することで可視化していこうとする試みですね。
鈴木 はい。それで、その中にまだ教員がいなかったんですよ。これは自分の出番だと思ったわけです。
宇田川 「OUT IN JAPAN」に参加して周囲の反応はどうでした?
鈴木 自分の写真が発表されたら周囲に様々なハレーションもあるだろうと予想して、当時の学校は退職したんです。それで非常勤の教師として教育に関わりながら、LGBTの活動をしていこうと考えたんですね。ですから写真が出た時にはすでに退職していたんですが、元教え子が親のスマホで僕の名前を検索したらしいんです。そしたらバーンと「OUT IN JAPAN」の写真が出てきた(笑)。「うわ、担任出てきた!」ってなって子どもたちにも保護者にもいっせいに知られたんですね。何人かから連絡をいただいて「がんばってください」と言ってもらいました。
宇田川 学校の先生がカミングアウトすることの意義ってとても大きいですよね。セクシュアル・マイノリティの子どもは自分だけじゃないんだと思えますもん。
鈴木 僕は子どもたちのおかげでカミングアウトさせてもらえたと思っています。
宇田川 やんちゃな子どもたちだったと言っていましたよね。
鈴木 そうですね。5年から担任になったクラスなんですが、6年に持ち上がる時に、正直言って担任を断ってしまおうかと悩んだんです。でも逃げちゃダメだと思いました。最後まで面倒みようと。その子たちはそれまで毎年、担任の先生が変わってたんです。ここで僕が放り出したら、またかって思われる。
宇田川 見捨てられてるみたいな気持ちがあって、それで荒れてたのかもしれませんね。
鈴木 だから1回でも小学校6年間の間に2年続けて担任になった先生がいたってことにしてあげたかった。子どもたちは自分たちがやんちゃで迷惑をかけてるっていうのは分かってたんですよ。でも、それでも見放さない先生がいるかっていうのを見てたんです。
宇田川 大人が本気かどうか試してたんでしょうね。
鈴木 ようやくクラスが落ち着いたのが6年生の9月でした。それまではずっと辛くて。お互いに辛くて。9月くらいに、カチッとなにかがハマったみたいな瞬間があったんです。そこからはどんどんよくなっていった。自走しているみたいに。
宇田川 もともとパワフルな子どもたちだから、それが良い方向に向かうと驚くほど進歩するんでしょうね。
鈴木 トラブルがあった時に、僕が介入しようとしたら子どもが「シゲ先生はなんでも担任の力で解決できると思ってるけどそうじゃないこともあるんだから今回は見守っていて」って言われたこともありました。「それは私たちを信頼してない証拠です!」って。うわー傷つくって思いましたけど(笑)。でも、すごいしっかりした発言ですよね。それで、スマートではないけれどちゃんと自分たちで解決して報告しにくる。そういう自治的な空気が出来ていって、僕がいなくても、子どもたち自身で育てあえるようになっていった。
宇田川 子どもって大人を試してるし、大人の態度次第で全く変わっていくんですね。先生の仕事って本当に重要ですけど。教師の側から教育行政に訴えたいのはどんなことですか?
鈴木 先生たちの仕事を減らしてほしいってことですね。きちんと子どもたちと向かい合える時間を確保してほしい。
宇田川 日本の先生は忙しすぎるっていいますもんね。
鈴木 子どもたちと喧々諤々やり合う余裕がないんです。僕、最初はLGBT当事者の子どもを救いたいと思ってたんです。でも様々な活動をすればするほど、そうじゃない子どもたちも巻き込んで包括的にやらないとだめなんだと思えてきたんです。だから子どもたちを包括的に取りまとめるだけの心と体の余裕を先生たちに与えてほしい。そのためには先生たちの働き方についてもアプローチしないとLGBTやマイノリティの問題も解決しません。
宇田川 さらに言うと、先生だけでなく日本全体の働き方、労働環境について考え直さなければいけないような気もします。
鈴木 僕が先生になったのは16年前なんですけど、その頃に比べて、子どもも先生も保護者も明らかに忙しくなってます。放課後に子どもが校庭で遊んでないんですよ。
宇田川 ああ、塾とか習い事で忙しいんだ。
鈴木 子どものスケジュールが芸能人並みなんです。
宇田川 鈴木先生はセクシュアル・マイノリティの教員のネットワークを立ち上げられたんですね。
鈴木 当事者の先生たちで月に1回くらい集まって活動しています。ただ僕以外はみんなクローゼットですが。なので基本的にはクローズドな会です。小中高、私立公立、集まる先生の所属はさまざまです。設立したのは昨年の11月なんですが、最初はLGBTの先生たち生きづらさのピアサポート的なものを想定してました。その後、LGBTに関する授業や授業以外のカリキュラムを行っていこうというふうになっていって、さらに最近は、学級経営と教科経営だねって話になってきてるんですよ。一周回ってそこに戻ってきた。だからやっぱりLGBTというのは入り口であって学級経営と教科経営をきちっと出来れば、LGBTの問題も学力の問題も人間関係の問題もみんなで話し合ってレベルアップ出来るんだっていうふうになってきてます。
宇田川 なるほど、やっぱりLGBTについてだけ考えていてもだめなのか。
鈴木 LGBTの教員ネットワークもクローズドではない回もあります。世の中の人はすべて学校を経験してるんで、教員に物申したい人って大勢いるんです。だから教員じゃない人もどんどん呼んで話を聞きたい。教員と行政の接点は多いけど、教員と企業ってなかなかつながりにくいんです。ですから、企業やメディアの人を呼んで視野が狭くならないようにしようと考えています。
宇田川 いま悩んでいる子どもにアドバイスってありますか?
鈴木 いまいる自分の居場所より大きな居場所に飛び込めってことですね。大きなコミュニティ、大きな社会の声を聞こうよ、と。学校に固執しなくていい。学校からどんどん抜け出していいんだよって言いたいです。必ずどこかになにか自分を鼓舞するものとか、自分が安心出来る場所があるはずです。その発掘作業をしてほしい。今日見つかるかもしれないし、明日かもしれないし、1年後かもしれない。でも、生き続けていれば必ずそれは見つかります。
宇田川 今日、鈴木先生のお話を聞いていて未来に希望が持てました。これから鈴木先生みたいな“宝くじ先生”がどんどん増えて、子どもたちが自分らしくのびのび学べるようになるんじゃないかな。
鈴木茂義(すずき・しげよし)
1978年、茨城県出身。大学の教育学部卒業後東京都の小学校教員他、地方でも教員を経験。2016年3月、「OUT IN JAPAN」参加を機にカミングアウト。足立区の小学校で自らが担任する6年生のクラスを送り出した後、退職。現在は非常勤で教員を務めながらセクシュアル・マイノリティについての教育・啓発活動を行っている。
(撮影:波多野公美)
OUT IN JAPAN: http://outinjapan.com
このインタビューシリーズ、毎回、本当にみなさん真摯にお話をしていただき、予想をはるかに超えるエールとパワーをいただいております。ボクモヤプロジェクトは終了まで残り約2週間となりました。現在、達成率は61%です。必ずや100%越えられるよう頑張っていきますので、引きつづき、支援者増加へのお力添えのほど、何卒、よろしくお願い申し上げます!