葭原滋男さんは、これまでパラリンピアンとして走高跳びと自転車競技で活躍。現在はブラインドサッカーに転向して活動するほか、ブラインドサーフィンにも挑戦している。じつに驚くべきマルチタレントぶりを見せる葭原さん。そのモチベーションの根源はいったい何なのか。そして障がいのある人もない人も、誰もが生きやすい社会をつくるためにはどうすればいいのか。55歳にして2020TOKYOを視野に走り続ける鉄人に聞いた−−−−。
−−葭原さんは複数の競技で好成績を残されてきました。しかも現在、55歳にして現役で活躍し、新たな挑戦もしようとしています。それだけ頑張れるのはどうしてなのでしょう?
葭原滋雄さん 子どもの頃から負けず嫌いで、何でも興味のあることはやってみようという性格だったんです。年齢のことに関しては、もう体もつらいし引退しようと思ったことも何度もあります。その度に、あと1年だけやってみようと思いなおして、その積み重ねでここまで来たという感じです。
ブラインドサッカーの定期練習の前にお話しを聞いた
−−葭原さんの場合は、子どもの頃は見えていたんですよね。
葭原 10歳の時に病気が分かって、その時に医師から「19歳までに失明するだろう」と言われたんです。結局、22歳で障害者認定を受けます。白杖をつくようになったのは40歳を過ぎてからです。現在は少し光を感じることが出来るくらいで、こうしてすぐ近くで対面して話していても相手の姿を見ることはできません。
−−次第に見えなくなっていくことへの恐怖はなかったのですか。
葭原 見えなくなる前は「見えなくなったら困ることが多いだろうな。何も出来なくなるんじゃないか」と思っていました。でも実際に見えなくなってみたらまったくそんなことない。何でも出来るんですよ。
−−何でも出来る?
むしろ見えなかった時には気づかなかったことに、気づけるようになりました。見える人は視覚に頼りすぎることで、見えなくなっているものがあるんです。
−−視覚以外の感覚を研ぎ澄ますことで見えてくることがあるのでしょうか。
葭原 そうです。見えている人もブラインドサッカーをする時にはアイマスクをします。はじめは見えないんですが、慣れてくると“見えて”くるんです。聴覚や嗅覚など視覚以外の感覚を総動員することで、頭の中にピッチの様子を描き出せるんです。この場合、前も後ろも360度“見る”ことが出来ます。ノールックパスを普通にやっているわけです。
『色についての黒い本』はいい企画ですね!と応援コメントをいただく
−−なるほど! 見える人より見えているのですね。
葭原 一般の人が考えているのと実際とが違うことは多いんですよ。たとえば点字。見えない人は誰でも読めると思われていますが、実際に点字を読めるのは見えない人の10%程度でしかないんです。僕も読めません。
−−そんなに少ないんですか!?
葭原 子どもの頃から勉強しないと難しいので、僕のように途中から見えなくなった人は読めないことが多いです。また点字の大きさや凹凸の高さによって、読めたり読めなかったりということもあるんです。
−−それは知りませんでした。よく自販機や案内板に点字があるのを見てバリアフリーなんだなと思っていましたが、それだけでは全く不十分ですね。
葭原 そうなんです。今、社会はバリアフリー化を進めていて、それは良い方向ではあるんですが、ここをもっとこうしてくれればなあ、作る前に当事者にもっと意見を聞いてほしかったなあと思うことも少なくないんです。一度、出来上がってしまうと予算もあるのでなかなか変更がききませんしね。
−−見えない人はこうなんだろうっていう勝手な思い込みがじゃまになっていますね。
葭原 僕は昔から、世間のイメージを壊してやろうと思ってやってきた面があるんです。国立障害者リハビリテーションセンターに通っていた20代の頃、仲間とRBBというグループを作っていました。Revolutionary of Blind Brothersの略です。見えない人はやらないだろうと思われていることをやってやろうというグループでした。
−−どんな活動をされていたんですか?
葭原 毎晩のように飲み歩いてました(笑)。みんなでスキーやキャンプにいったり。見えなくたって見える人と同じようにお酒も飲むし、家でじっとしてたりしないんだよって主張したかった。いろいろなスポーツに挑戦したのもそういうことの一環という面もあります。もし見えていたらこの年までスポーツを続けていなかったと思います。ある意味で見えなくなったことでチャンスをもらったとも言えるんです。
これまでのチャレンジについてのお話しには驚くばかり
−−見える人が勝手な思い込みを捨てて、本当の意味でのバリアフリー化を進めるためにはどうしたらいいんでしょうね?
葭原 見える人と見えない人を分けないことだと思います。壁を取り払うことで気づかなかったことに気づける。そういう意味では『色についての黒い本』は、見える人も見えない人も楽しめる良い企画ですね。
−−なるほど。今日、駅で待ち合わせしてインタビューの場所まで移動するのに、葭原さんに僕の肩に手をかけてもらって誘導しました。はじめての経験で正直おっかなびっくりだったんです。でも次第に見えない人と歩くときにはこうすればいいんだということが分かってきました。これから街で白杖をついている人を見たら声をかける自信がつきました。
葭原 そうやっていろいろな障がいを持つ人と一緒に暮らしていく中で、言われなくても何が必要か感じることが出来るようになる。そしてさりげなく手を差し伸べることが出来るようになることが、大切なのではないでしょうか。
取材を終えブラインドサッカーの練習場に一緒に移動
−−葭原さんは現在、ブラインドサッカーチームで20代の人たちとも一緒にプレーしています。若い人たちにメッセージはありますか?
葭原 楽しいこと、ワクワクドキドキすることを探してください。そして興味を持ったらなんでもやってみる。困難があった時には出来ないと諦めず、どうすれば出来るかを考える。そうすればきっと新しい道が見えてくるはずです。
練習前のミーティング風景
輪になってパス回しの練習
葭原滋男(よしはら・しげお)
1962年東京生まれ。埼玉県鶴ヶ島市出身。10歳の時に網膜色素変性症と診断され途視覚障がい者に。1992年バルセロナパラリンピックで走高跳び4位。1996年アトランタでは同種目で銅メダルを獲得。その後、自転車競技に転向しシドニーで1kmタイムトライアル金メダル、スプリント銀メダル。2004年アテネでスプリント銀メダルと活躍。その後さらにブラインドサッカーに転向。日本代表にも選ばれている。
■取材を終えて■
「大切なのは壁を取り払うこと」という葭原さんの言葉には頷かされました。さまざまな障がいを持つ人と同じ体験をすることで相手の身になって考えることが出来る。すると自然に寄り添っていけると思うのです。
近年では技術が進み、見えない人も見える人も同じツールを使うことが出来るようになってきました。例えばスマートフォン。音声入力、音声ガイドはもちろん、文字を読み取って読み上げることも出来ます。壁を取り払うためのハードが続々と登場しているのは頼もしい限りです。
しかし、ハード面だけバリアフリーが進んだところでソフトの部分がおざなりでは誰もが暮らしやすい社会とは言えません。もっとも重要なのは意識を変えること。自分とは違う環境、立場にいる人がどんな経験をしているのか想像し共感して自然に寄り添っていけるようになること。
『色についての黒い本』は見えない人も見える人も一緒に楽しめて、見える人が見えない人の世界を体験することが出来る絵本です。多くの人がこの本を手に取ることで多様な人々が寄り添って生きる社会の実現に一歩近づくのではないでしょうか。
(ライター/サウザンブックスPRIDE叢書編集主幹・宇田川しい)