数多くのバンド・デシネの翻訳で知られるフランス語翻訳者の原正人さん。新作である、アスペルガー女子の日常を描いたフランス発のグラフィックノベルの『見えない違い 私はアスペルガー』(花伝社)は、発売後すぐに荻上チキさんのラジオ番組で取り上げられるなどと大きな話題となっている。
『ZENOBIA』プロジェクトにもご参加いただいている原さんに、一問一答形式でインタビューしました!
Q:翻訳された新刊『見えない違い 私はアスペルガー』は、各方面で話題となっていますが、このような社会的なテーマを扱ったグラフィックノベル作品が海外を中心に活発に出版されているように見受けます。とくに気になる作品や作家、出版社などあれば教えていただけますか。
個別の作家、作品をあげるとキリがないのですが、出版社としては、フランスのSteinkis(スタンキス)が興味深い社会派の作品を次々に出版していてここしばらく個人的に注目していますね。それとは別の水準の話ですが、昨年ぐらいからカナダのフランス語圏ケベックのバンド・デシネに触れる機会が増えてきて、フランスやベルギーとはまた異なるケベックのバンド・デシネにも興味を持ち始めています。ケベック州の人口は800万人程度だそうなのですが、その中に多様なバンド・デシネがあって、その点も興味深いです。
グラフィックノベルには、日本のある種のマンガのようなエンタメ的な派手さはありませんが、どこか地に足がついたところがあります。社会問題でも、歴史や文化でも、自分が知らない世界を知るのに最適だと思います。
日本ではグラフィックノベルを含めた海外マンガのことがまだまだ知られていないんじゃないかと思います。もっと多くの作品が紹介されたらいいし、もっと多くの人に興味を持ってもらって、もっと多くのことが語られるようになるといいですね。1960年代末から海外マンガ翻訳紹介の最前線にずっと立ち続けている人に小野耕世さんという方がいらっしゃいますが、その小野さんを除けば、グラフィックノベルについて幅広く語っている人は日本にはいないんじゃないかな。
グラフィックノベルと一口に言っても、今や世界中のいろんな国でいろんな作品が出版されていて、全体像を把握にしくいし、かと言って雑な話もしにくい、というのが現状かもしれませんね。僕自身、まだ大して知らないのですが、自分の今の関心に基づいてグラフィックノベルについて書いてみたいと思い、マンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートの情報サイト「メディア芸術カレントコンテンツ」で、「越境するグラフィックノベル」という連載をさせていただいています。第1回で「移民」、第2回で「セクシュアリティ」を扱っています。興味があれば読んでみてください。
■越境するグラフィックノベル 第1回「移民」
Q:『ZENOBIA』も世界的に評価され、15もの国や地域で翻訳されているグラフィックノベルです。『ZENOBIA』の日本語翻訳出版を目指している本プロジェクトに、応援メッセージをいただけますでしょうか。
世界中で読まれている、観られている、聞かれているけど本では知られていないという作品は、文学にも映画にもドラマにも音楽にもたくさんあるのではないかと思います。マンガももちろんその例外ではないし、むしろその最たるものかもしれません。マンガについては日本産の作品の多くが世界中で読まれているだけに、フェアじゃない感が強いですよね(笑)。日本のマンガが他の国のマンガを圧倒するほど優れているのであれば、それもいたしかたないのかもしれませんが、はたして本当にそうなのか、僕にはあまり自信がありません。
『ZENOBIA』がそれだけ多くの国で翻訳されているのは、そこにある種の普遍性、あるいは際立った特殊性があるからでしょう。そのような作品の存在を知らずにいるというのは、世界の他の多くの人たちが気にしているテーマから自ら目を背けているということなのかという気さえします。本書のテーマが難民であるだけに、なおさらその無関心に胸が痛みます。本来であれば、本書のような作品は、僕のような海外マンガの専門家面した人間が、とっくにこんな作品があるよと紹介していなければならなかったのではないかと思います。もっとも、実をいうと僕は、ここ10年海外マンガの仕事をしていますが、元々は社会問題を扱うタイプの作品にはほとんど興味を持ってきませんでした。興味を持つようになったのはここ1、2年のことで、それはおそらく現在日本や世界が置かれている状況と関連しているのでしょう。だから偉そうなことは言えません。
今、社会問題を扱うグラフィックノベルに興味を持っていろいろ読んでいるところですが、改めて海外のそういった作品に目を向けてみると、日本のマンガではなかなか扱われないテーマが、わかりやすく、独特の語りの工夫とその問題と向き合う書き手の覚悟を伴って語られていることがわかります。日本のマンガが極めて競争の激しい市場の中で効率的・効果的な語りを発展させてきただけに、僕自身、ついつい日本のマンガと比べると、海外マンガは面白みに欠けるなどと考えてしまうことがあります。しかし、多様性が叫ばれるこの時代においては、日本のマンガとまったく異なり、読者にすり寄りすぎず、時にあまりに個人的である海外マンガは、積極的な価値を帯びるのではないかと思います。
僕の知る限り今回のプロジェクトは、クラウドファンディングで海外マンガの邦訳を行う日本初のプロジェクトです(僕が知らないだけで既にあったのかもしれませんが……)。海外マンガを愛するファンとしても海外マンガを翻訳する翻訳者としても、ぜひ本プロジェクトが成立するよう、皆さんにご支援いただけたらと思います。
Q:これまで数多くの作品の翻訳を手がけられていますが、出版社や編集者に提案されることもありますか?その際、提案する・しないの基準はどこなのでしょうか。
編集者側から僕に提案してくれることもありますし、僕のほうから編集者側に提案することもあります。いわゆる持ち込みというヤツですね。編集者が僕に提案するにせよ、僕のほうから提案するにせよ、考えていることは基本的に同じだと思います。
①面白い、面白そう。
②日本で出したら売れそう。
③そこまで売れなくても何らかの観点から出す意義がある。
④コスト的に見合う。
編集者はさまざまなネットワークの中から海外で出たいい本をいろいろ見つけてきますが、翻訳者は翻訳者でやっぱりいろんなやり方を駆使して海外の本と出会います。その本をすぐに熟読したりもできるわけで、その点で翻訳者は重要な存在であり、有利な立場にもいるわけですが、普通の翻訳者の限界は、語学はできても、書籍化するための編集をしたり、予算を確保する能力がないという点です。必然的に翻訳者は編集者を味方に引き入れなければなりません。
捨て鉢で持ち込みをすることがないとは言いませんが、基本的には編集者に気に入ってもらえるよう持ち込みをします。そういうことをたくさんしていると、これは編集者に受け入れられそう、これは受け入れられなさそうという傾向が結構わかってきたりします。そうなると、これはすごくよくないことだと思いますが、これはいい作品だけど受け入れられなさそうだから見せるのをやめるかとか、編集者を口説く方法を考えるのが面倒だからそもそも提案するのをやめるか、みたいなことになってしまったりする。翻訳者はある意味、海外の本を日本に紹介する最前線にいる人間ですが、その人間がこれではいかんですよね。むしろ編集者に興味を持ってもらえるように、いろいろと工夫をしなければならないんだと思います。僕自身、3~4年前はほとんど持ち込みをしなくなってしまっていたんですが、ここ1~2年は心を入れ替えてまたいろいろと持ち込みをしているところです(笑)。
Q:翻訳業以外にも「Comic Street」というwebサイトの運営や「世界のマンガについてゆるーく考える会」などのイベント開催と、海外マンガについて精力的に活動されています。翻訳業以外の活動についても教えていただけますか。
僕自身はフランス語を日本語に翻訳する翻訳者で、バンド・デシネ界隈の仕事をすることが多いですが、日本のマンガも大好きですし、バンド・デシネ以外の世界のマンガにもすごーく興味があります。元々僕は文学に興味があって、そのときも、フランス文学だけというわけではなく、世界の文学全般に興味があったので、主な興味の対象が文学からマンガに移った今でも、主として邦訳を通じてですが、幅広く海外のマンガを読んでいます。
海外マンガの邦訳は、歴史を辿れば明治時代から連綿と続いていて、かつては日本のマンガとそう遠くないものであった時代もありました。ところが今や日本のマンガと海外マンガは、日本の市場の中でかなり画然とわかれています(デジタルコミックの普及で、ここ1~2年で少し風景が変わってきたかもしれません)。
一部の例外を除き、海外マンガはそれほど注目されることもなく、文学や映画と比べると、海外発の作品が日本を席巻するという例もほとんど見当たりません。未邦訳の歴史的名作も山のようにあるんですが、それらもいつまでたっても邦訳されないし、ここ10年ぐらいそれまでとはかなり状況が変わりつつあるとはいえ、新しい作品の翻訳だって決して多いとは言えません。海外のマンガに詳しい人は案外たくさんいるんだと思いますが、そういう人たちも個々に存在していてつながっていない。そういう状況を少しでも改善できればと思って、ここ2~3年さまざまな活動をしてます。
順番的にはまず2016年の夏に「世界のマンガについてゆるーく考える会」を立ち上げました。邦訳も原書も、紙も電子も、アマチュアもプロも全部ひっくるめて、日本のマンガも含めた世界のマンガについて情報交換をしましょうというゆるい集まりです。そのオンライン版が「Comic Street」ですね。幸い「世界のマンガについてゆるーく考える会」と「Comic Street」については、デジタルカタパルトさんにいろいろとサポートしていただいています。
それ以外に、2018年の秋から日本マンガ学会海外マンガ交流部会と一緒に、邦訳海外マンガをじっくり読む「海外マンガ読書会」と海外マンガ関係者にいろいろとお話を伺う「海外マンガ交流会」を始めました。海外マンガを原書で読む読書会とか海外マンガを研究する会とか、もっといろんな集まりを作って、多面的に海外マンガにアプローチし、海外マンガが好きだ、海外マンガで仕事をしたいという仲間を増やしていきたいですね。そもそも海外マンガは日本ではまだ決して十分に知られているとは言えない状態で、まずは海外マンガをめぐる言葉をどんどん増やしていきたいです。
Q:活発な活動を続けられていますが、そもそも、海外コミック、バンド・デシネとの出会いはどういう経緯だったのですか?
90年代半ば、大学生だった頃、フランス語を専攻していたわけじゃないんですが、ある種のフランス文学に興味が出て、大学院でフランス文学を勉強したいなって思ったんです。もうバブルは崩壊していましたが、まだその余韻がある時代で、僕自身のんきなことあって、別に就職なんてしなくていいやという感じで、大学を出てから、大学院に入ることを前提に丸3年間フリーターをしてました。
フランス語が何もできない状態じゃフランス文学の大学院に入れませんから、バイトしながら嫌々フランス語を勉強したわけです。基本独学だったんですが、一応大学4年間勉強した学生と同じくらいの語学力があると証明するために仏検2級というのを取っておこうということになって、口頭試問があるというので、その直前にフランス語ができる日本人の方にしばらくフランス語会話を教わったんですね。当時、個人的にマンガ熱が再燃している時期で、いろんなマンガを読み漁っていたんですが、そのフランス語の先生がフランスにも“バンド・デシネ”っていうマンガがあるよって教えてくれて。メビウスという作家の作品を持ってるから読んでみたらってことで、『エデナの世界』という作品の第2巻を貸してくれたわけです。それが僕のバンド・デシネとの出会いですね。
ただ、それですぐにバンド・デシネにハマったかと言えば、そんなことはまったくなく。どこで借りたり買ったりできるかもよくわからなかったし、そんなことを調べる気にもなりませんでした。院生時代は後輩にひとりバンド・デシネで論文を書くという女子がいて、発表を聞いたりしたことはありましたが、それ以外にはまったく接点がありませんでしたね。
バンド・デシネのことを真剣に考えるようになったのは大学院を出てから。院生時代は院生時代で修論を書くのに精いっぱいでまったく就職活動をせず、結局、修士を出てしばらく経ってから大学受験の予備校で働くことになったんです。ところが、数カ月経った頃にはやっぱりフランス語をもっと上達させたいし、フランス語を使う仕事がしたいよな~と思うようになって、大学の授業にモグったりして悶々としてたんですが、そんなときに改めて「そーいや、バンド・デシネってあったな」って思い出したんです。それから日本で過去に出た翻訳やバンド・デシネを紹介する記事を調べたり、当時盛り上がっていたSNSのmixiでコミュニティを作ったり、そのオフ会的な感じで「バンド・デシネ研究会」という集まりを始めたり……。その後、紆余曲折あってバンド・デシネを翻訳できることになりました。当たり前のことですが、いろんな人との出会いが大きかったですね。
Q:最後に、今後の予定について教えてください。
今後もいろんなバンド・デシネを翻訳していく予定です。2019年にも既にいくつか翻訳が出ることが決まっていますので、出版されたあかつきにはぜひ読んでいただければと思います。公式なリリース情報が出ているわけではないので、全部具体的なタイトルをあげて宣伝できないのがもどかしいですが(笑)、とりあえず4巻で止まっていたバラック、バスティアン・ヴィヴェス、ミカエル・サンラヴィル『ラストマン』(飛鳥新社)の第5巻が1月末に出ます。いわゆるグラフィックノベルで出版が決まっているものもありますが、もっと力を入れていきたいです。
ここ数年はバンド・デシネ以外に小説なども訳しているんですが、そういった他ジャンルの翻訳も手がけて、バンド・デシネだけにとらわれない、風通しのいい翻訳者になれたらいいですね。
今回のZENOBIAのように翻訳する意義のある、ただ一般の出版社ではなかなか出版できそうにない作品があれば、僕もいずれぜひ翻訳のクラウドファンディングに挑戦してみたいですね(笑)。
イベント的なことにもどんどん関わっていきたいと思っていて、近いところだと2月に海外文学を紹介する小冊子「BOOKMARK」が企画した、青山ブックセンター本店で開催されるイベントに登壇します。グラフィックノベルに興味があるという方はぜひいらしてください。
訳者:原 正人(Masato Hara)
1974年静岡県生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科フランス文学専攻博士前期課程修了。フランス語圏のマンガ“バンド・デシネ”を精力的に紹介するフランス語翻訳者。フレデリック・ペータース『青い薬』(青土社、2013年)、ジャン・レニョ&エミール・ブラヴォ『ぼくのママはアメリカにいるんだ』(本の雑誌社、2018年)、「ジュリー・ダシェ&マドモワゼル・カロリーヌ『見えない違い 私はアスペルガー』(花伝社、2018年)など訳書多数。監修に『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社、2013年)がある。
■『ZENOBIA』プロジェクト応援イベント
フランス語翻訳者の原正人さんをゲストに迎え、プロジェクト成立に向けたアイデア共有や、海外グラフィックノベルについてみなさんとお話しさせていただく会です。原さんには、「移民や難民」をテーマにした作品もご紹介いただく予定です。お茶・お菓子を用意してお待ちしております。どうぞお気軽にご参加くださいませ!
・日時:2019年 1月31日(木) 19:00~21:00
・場所:株式会社サウザンブックス社 (東京都渋谷区代々木2丁目30-4 202号)
・参加費:無料
・定員:12名
・参加申し込み方法:
件名を『ZENOBIA』プロジェクト応援イベント参加希望 として、
お名前と当日ご連絡がつくお電話番号をご明記されて、
info@thousandsofbooks.jp までメールにてお申し込みください。
・問い合わせ:
info@thousandsofbooks.jp
03-6869-9395(サウザンブックス社)
■「BOOKMARK」13号刊行記念
「グラフィックノベル? バンド・デシネ?」
原正人・金原瑞人・三辺律子 トークイベント