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フェミニズムの視点からトランス女性の経験をひもとく
金字塔的エッセイ『ホイッピング・ガール』を翻訳出版したい!

本書の魅力をご紹介!(翻訳者:矢部文より)

こんにちは。Whipping Girlの翻訳を担当する矢部文です。

昨年、遠藤まめたさんたちが立ち上げた読書会に参加し、1年かけてこの本を読み終えました。トランス女性の視点から書かれたフェミニズムの本と聞いて興味をもち、さらに、なんで今どき「トランスセクシュアル」なのか知りたいと思いました。そしてその著者がTwitterで時々炎上しているあのジュリア・セラーノだと知って「絶対読む!」と決心しました。ニューヨークからの参加だったので、冬期の開始時間は午前6時。それでも一度も欠席しなかったのは、どの章にも著者ジュリア・セラーノの強烈なパンチが炸裂し、とにかく面白かったことがいちばんの理由です。

セラーノがパンチをくらわせるは、家父長制のうえにあぐらをかいているセクシストたちだけではありません。似非フェミニスト、トランスジェンダーの現実を歪めるメディア、さらにトランスジェンダーコミュニティの「ための」働きをしているはずのセラピストや研究者など、ありとあらゆる領域の人たちの化けの皮をはがしていきます。そして、トランス女性が経験するトランスフォビアの本質は、実はミソジニーなのだと指摘します。さすがスラム詩人として鍛えただけのことがあるテンポで、痛快です。

Whipping Girlで展開されるセックス(性別)やジェンダーに関する生物学的な主張には説得力があります。セラーノは、コロンビア大学で生化学と分子生物物理学の博士号を取得し、カリフォルニア大学バークレー校で遺伝子や進化発生生物学の研究をしていた人。だから、人間の性別を議論するうえで、生物をちょっとかじっただけのアクティビストとは知識の質も量も違うわけです。なかでも特に印象的だったのが、ヒトの生物学的特性はめちゃくちゃ複雑ですが、本質的な点では男女(オスとメス?)に差異はないという主張です。

私は米国でアジア系LGBTQ+の人たちやその家族を支援する活動をしていますが、近年、トランスジェンダーの青少年とその家族に関する活動の割合が増えています。セラーノが本書で指摘する、マスキュリンな人たちがフェミニンな人たちより受け入れてもらいやすい傾向は、アジア系移民社会にも見られます。男性であることと女性であることが同格なのに、ボコボコにされるのはいつも、女性や女性的なジェンダー表現をするいわゆるフェミニンな人たちだというのは、米国の病んだ一面かもしれません。米国ヒューマン・ライツ・キャンペーン財団によれば、2021年、米国で殺されたトランスジェンダーやジェンダーノンコンフォーミング(性別規範に従わない)な人たちの数は分かっているだけで53人(と、悲しい記録が更新されましたが、被害者の大多数がトランス女性かフェミニンなジェンダー表現の人たちでした。

Whipping Girlの最後の章は、トランス&クィア(T&Q)アクティビズムについてセラーノの忌憚ない意見が表明されています。ジェンダークィアの身内をもつ人間としてちょっと気まずさを感じたと同時に、セラーノが米国のT&Qコミュニティに対してもつ危機感がよく分かりました。セラーノの意見(ネタバレなしでごめんなさい)に対しては、様々な意見があるかとは思いますが、誰かのアクティビズムが他の誰かを周縁化させている可能性への警鐘として大事な指摘だと思いました。

本書は、硬めの話からセラーノ自身のオーガズムに関する「そこまで言っちゃう?」的な話まで盛りだくさんの20章構成です。どの章も刺激的で、目から鱗がどんどん落ちるはず。翻訳を始められる日が一刻も早く来ることを心から願っています。
 

2022/02/02 12:56