遠藤まめたさんが主催する読書会に参加しながら、約1年間かけて、英語でWhipping Girlを何とか読み切りました。
かなりのボリュームで、英語だったため、私自身もっと掘り下げて理解したいという部分は多々あります。
だからこそ、これを日本語で読めるようになることが楽しみですし、特に「トランス女性に対する偏見が女性蔑視(ミソジニー)に基づいたものであること」についての内容を含め、今の日本の社会で起こっていることを考えるにあたっても大切な視点だと考えており、日本語にして多くの日本語スピーカーに触れて欲しいと思っています。
原書を読みながら私なりに感じたこととしては、新しい言葉やこれまで聞いたことがあったけど改めてどういうことなんだろう?という言葉に出会い、読み進めていく中で、今の社会の構造をどう捉えるか、そしてそれが自分自身にどう影響しているかが紐解かれ、一段も二段も掘り下げて振り返ることができるきっかけをくれた、ということです。
男性的な特性がより「よいもの」「自然なもの」とされ、シスジェンダーが規範(世の中の無意識の当たり前)になっている社会の中で、トランスジェンダー女性であることの経験がトランス男性と異なり、どのようなものなのか、セラーノさんのぶっちゃけたリアルな体験やストリーも交えて語られていて、時には途中で立ち止まって深く考えたり、時にはセラーノさんの人間らしい側面に触れほっこりしたりしながら読み進めました。
人によってはこれまで当たり前すぎてあまり考えてこなかったことや日々モヤモヤしているけどその正体が何だか分からないということが、一瞬ちょっと撹乱させられてから整理され腹落ちしていくような感覚を覚える方もいらっしゃるかもしれません。
個人的には、女性的であるということが、男性的であるとされる特性とどの異なって受け取られ、社会の中で意味づけられているのかについて、この本に出てくるトランスミソジニーという概念と合わせて理解し、再考するきっかけになりました。
トランス女性の経験は、トランスジェンダーであることの経験と女性であることの経験の交差点をなんとく見るだけでは見落とされてしまうものがあると考えています。
そういう意味でも本人が自分のストーリーを交えつつも、様々な観点から現象を解説してくれているただのエッセイではないこのエッセイは多くの人に読まれる価値があるものだと確信しています。
藤原快瑤(ふじわら かよ)
グラデーション代表・東京大学バリアフリー教育開発研究センター特任研究員・三鷹ダイバーシティセンターのメンバー・コスタリカ国連平和大学「ジェンダーと平和構築学修士」