シスジェンダーである私たちは、トランスとして生きることの意味をまだ知らない
米国在住中、友人にお薦めの本はないかと聞いたら、最近出版された『Whipping Girl』がいいよと言われて購入した。15年も前のことだ。
セラーノはその後トランスフェミニストの立場から多数の本を出版し、近年はオンラインでも膨大な量のエッセイを次々に発表している。
それらのエッセイで彼女はしばしば「これについては Whipping Girl で詳しく書いたが」と言う。セラーノは果たして、出版から15年後になっても未だに自分が言葉を換え説明を加え当時書いたことを言い続けているだなんて、想像しただろうか。
この本には、トランス女性として生きることが何を意味するのか、それが女性嫌悪とどう関連しているのかが詳らかにされている。英語で書かれたそれはしかし、近年の英語圏におけるトランス排除言説の勃興を防ぐことはできなかった。トランス女性の生きる現実など、トランス排除をはじめから支持している者たちには伝わらないのだ。
だから私はこの本を「立場を決めかねているシスジェンダー当事者にとっての必読書」として薦めたい。
シスジェンダーに特権があると言われると、身に覚えのないシスジェンダー当事者はつい反発してしまいそうになるが、シスジェンダー特権があるというのは、トランスジェンダーとして生きることに伴う困難や障壁が存在するという意味なのだ。そしてそれは現在、悲しいことに事実である。一方セラーノは本書で男性特権についても、それがトランス女性にとって何を意味するのかを含めて誠実に語っている。
それら「特権」について、セラーノは数々のエッセイでこう語っている。「特権」という考え方は、糾弾の道具ではなく「学びの契機」である、と。立場を決めかねているシスジェンダー当事者には、本書を通して、セラーノからその学びの契機を受け取ってほしい。
特にシス男性にとって本書は、トランスを擁護しながらフェミニストを叩いたり、女性の安全を謳いながらトランス女性の尊厳を貶めたりするのではない、別の道を選ぶこと——女性差別とトランス差別の両方について深く思考すること——の手助けになるだろう。
マサキチトセ
ライター。1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしつつ群馬県館林市でバーをやってます。