皆さん、こんにちは
Whipping Girlの翻訳を担当している矢部文です。
翻訳は今のところ、予定通り進んでいます。時折ページのあちこちにジュリア・セラーノの激しい怒りや憤りを感じながらも、彼女のコミュニティに対する使命感に後押しされて、粛々と作業をしています。
でも「何で私がこの仕事を?」と頭を抱え、立ち止まることもしばしばあります。それは、「セラーノが新語造成マシーンだから」といえば分かっていただけるでしょうか。読書会の最中も、シスセクシズムやボーイガズム、そしてエフェミマニアなど「インターネットを調べても、ジュリアのサイトにしか例文がない」という言葉にたくさんぶつかりました。当時は、「これを日本語に翻訳する人って大変だよね。でも今は、英語のままでスルーしましょう」と片付けていたのでした。あのときもう少し、読書会のみんなと話し合ってきちんとした日本語にしておけばよかったと後悔しきり。ともあれ、今は前進あるのみ。編集者の宮崎綾子さんには大変なご苦労をおかけすることになると思いますが。
さて、プライド月間の6月、ニューヨークでも毎週末どこかのボロ(地区)でプライドイベントが行われました。毎年そのトップバッターとなるのがクィーンズ地区。月末のマンハッタンプライドのように大規模ではないものの、地元参加型で手作り感満載です。私は、GAPMNYという男性を自認するアジア系クィア+トランスな人たちのグループと一緒にパレードに参加しました。沿道には、それこそ赤ちゃんからお年寄りまでたくさんの人が詰めかけ、音楽やド派手なコスチュームを楽しんでいました。そしてたくさんの人たちから「ハッピープライド」と声を掛けられ、「ああ、これがおらがコミュニティの暖かさだ」と思いました。
会場となるジャクソンハイツ(ゲイタウンです!)には、そのクィーンズプライドを歓迎するためレインボーフラッグを飾るアパートがたくさんあります。その光景があまりに素敵だったので写真に撮ってツィートしたところ、ある日本人弁護士の方が私の写真を引用し、日本では女性問題が優先されるべきとしてLGBTQ運動の隆盛は「フェミニズムの終焉」とつぶやいているのに出くわしました。いったいこの考え方はどこで生まれたのでしょう。女性蔑視とゲイバッシング、そしてトランスヘイトの根っこは同じなのです。ですから、LGBTQ運動、特にトランスジェンダー運動とフェミニズムは両立しますし、『Whipping Girl』ではそのしくみが明快に解き明かされています。ジュリア・セラーノのような論客の意見がもっと日本語化されれば、ものごとの本質がさらに可視化されるのかなと思った「事件」でした。
『Whipping Girl』の翻訳を始めるにあたって、たくさんの皆さんにサポート頂きました。孤独な翻訳者にとって、皆さんからの声援は大きな励みになっています。引き続きご支援よろしくお願いいたします。
(矢部文)
現在、プライド叢書では、若いセクシュアル・マイノリティをテーマにした小説の出版をめざす、クラウドファンディングを実施しておりますのでお知らせいたします。
たったひとりの家族に見捨てられないようにと、
ゲイであることを受け入れきれなかった少年の告白
スペイン発『ぼくの血に流れる氷』翻訳出版クラウドファンディング
自身もセクシュアル・マイノリティ当事者である著者が、若い当事者たちの声をもとに書いた1冊。主人公は、スペインの保守的な田舎町に暮らす男子高校生のダリオ。2005年に、オランダ、ベルギーに次いで世界で3番目に同性婚が合法化されたスペインでありつつも、まだまだ根強く残る偏見や差別を恐れるがあまり、自身がゲイであることを受け入れきれず、自分ばかりか他者も傷つける行動をとってしまいます。
実は誰よりも優しくて繊細な心を持つ、ひとりの少年の痛みとあがき、そして希望と再生のストーリーです。