レズビアンのグループ「れ組スタジオ・東京」のメンバーの若林苗子さんから、
応援コメントが届きました!
こんにちは。わたしはレズビアンのグループ「れ組スタジオ・東京」のメンバーの若林苗子です。「おばあちゃんのガールフレンド」翻訳出版プロジェクトを心から応援しています。
「れ組スタジオ・東京」は、35年前の1987年3月、日本初のレズビアンによるレズビアンのための事務所として、新宿の「女性解放合同事務所ジョキ」に誕生し、全国で孤立して生きているレズビアンのネットワークを作るために、様々な活動をしてきました。2013年2月に事務所と紙の「れ組通信」(No.294まで)の発行を終了しましたが、その後は、毎月一回の「れ組交流会」、ホームページやツイッターからの発信を行っています。現在新型コロナのために「交流会」はお休みしていますが、コロナが収束したら交流会を再開させたいです。「れ組スタジオ・東京」のメンバーたちの多くは年を重ねたオールド・レズビアンたちで、それぞれが様々な経験をしてきました。わたしは「れ組スタジオ・東京」開設の時からのメンバーで、1947年生まれで現在74才です。1970年に家父長の家族制度と異性愛の結婚をとらえ返すウーマン・リブ運動に出会い、そこから女を愛する女=レズビアンになりました。日本社会には性差別が根強くあり、ジェンダー平等が必要です。
2012年7月、れ組スタジオの友人達と北米・ボストンで開催された「OLOC=Old Lesbians Organizing For Change=社会を変革するオールド・レズビアン」の合宿に参加して大いに刺激を受けました。この合宿の主催者と参加者は60才以上のレズビアンで、分科会・コンサート・かくし芸大会などなど、楽しかったです。年を取ったら引退ではなく、その時その時に自分がしたいこと、やりたいことをネットワークを作って行い、社会を変革する。合宿に参加して、年を重ねることをかなり肯定的にとらえられるようになりました。
女を愛する女=レズビアンはいつの時代にも、世界中のどこにもいましたし、います。ただ、社会に根付いている同性愛に対する差別、偏見のため、カミングアウトするのが困難なので、見えない存在になっているのです。ここ近年、勇気あるレズビアンたちや様々な性的少数者たちがカミングアウトすることによって、その存在が可視化されてきました。しかし、日本では性的少数者の人権を守る法律は制定されず、同性婚も認められていません。これからですね。年を重ねた台湾のレズビアンたちの声を集めた今回の本、日本語版の出版を楽しみにしています。
(ちょっと一言)
今回のタイトル「おばあちゃんのガールフレンド」について。原題の『阿媽的女朋友』を直訳したとのことですが、子どもや孫のいない年を重ねた女性をどう呼ぶかについて考えてみましょう。わたしは74才ですが、子どもも孫もいませんので、正直他人から「おばあちゃん」と呼ばれるのはイヤです。年を重ねたレズビアンは「高齢レズビアン」「オールド・レズビアン」で良いと思いますが、いかがでしょうか?でも原題が『阿媽的女朋友』なのでどう訳したらいいか、わたしに名案はありません。
若林苗子
れ組スタジオ・東京online