いまここにいる自分は、本当にこうなるはずだったのだろうか。より良い場所で、より快適に、より幸福に生きているはずではなかったのだろうか。あるいは、その逆は?
ちらとでも問わずに生きてこられた人間は、そうはいないだろう。ほとんどの人間にはいつだって心のなかに「こうはならなかった自分」がいて、こちらを見つめている。
本書の主人公アステリオスもまさにその一人だ。彼は〈現在〉と〈過去〉、〈現実〉と〈夢〉、〈生〉と〈死〉、さらには〈秩序〉と〈混沌〉をも行き来しながら、他ならぬ自分自身について自らに問い続ける。タッチが目まぐるしく変化し、具象と抽象の境界が溶けていくほど、彼の旅はより遠くへ、最奥へと進んでいく。変幻自在なイメージを追ううち、読者の意識の輪郭もほどけていく。まるでアステリオスとともに旅をしているような気分が味わえるのは、まさにこのグラフィック・ノベルの醍醐味と言えるのではないか。
わたしは運良く訳者の矢倉さんによる解説付きでの紹介に預かったが、残念ながら最後まで内容を知ることはできなかった。アステリオスは、はたしてどうなってしまうのか。そしてわたしは、『アステリオス・ポリプ』の日本語版を読むことのできる未来と、そうではない未来の、どちらに辿り着くことができるのだろうか。
わかしょ文庫(わかしょぶんこ)
91年北海道生まれ。作家。著書に『うろん紀行』(代わりに読む人)。代わりに読む人メールマガジン「思考錯誤」にて「大相撲観戦記」連載中。
Twitter:@wakasho_bunko