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自分で決めたジェンダーで生きる
『ジェンダー・クィア』を翻訳出版したい!

言葉を奪われないために(残り期間あと1カ月ほど 発起人・小林美香より)

『ジェンダー・クィア』日本語版出版に向けたクラウドファンディングの期間も残すところあと1カ月ほどになりました。これまでにご支援いただいた方々、関心をお寄せいただいた方々に深く感謝いたします。また、拙著『ジェンダー目線の広告観察』の刊行と、クラウドファンディングの時期が重なったこともあり、読者の方がクラウドファンディングを支援してくださったことも大変嬉しく思っています。

私にとって、クラウドファンディングの発起人になることは初めての経験であり、キャンペーンを展開する中で『ジェンダー・クィア』の内容を紹介したり、支援をいただいた方々の暖かいコメントや、X(Twitter)やInstagramなどのソーシャルメディアを通した反応に接する中で、私がなぜこの本の日本語版を刊行したいと考えるのか改めて考えることになりました。作品として優れていることや作品についての反響についてはこれまでにも「作品の一部読み」を通して紹介してきましたが、作者のマイア・コベイブさんが自認する「ノンバイナリージェンダー」についての私の考えを記しておきたいと思います。
 


発起人である私は、生物学的・社会的存在として女性であることをある程度受け入れてこれまで生きてきました。「ある程度受け入れる」という言い方をするのは、自明のこと・生涯変わらない属性として自分が背負うことに、どこか無理を感じているということです。「性別」という言葉が苦手で、特に男性から「彼女」と指されるとゾワっとする気分になるのですが、それはその「男性(とされる人)」が、私を「彼女」と想定する根拠諸々が構成する「女性」とは、私とは別の存在なのではないかと、認識のズレみたいなものが存在するのではないかと考えるからで、ジェンダーは判別可能なもの、判別しておかないといけないという根拠をどこかで宙吊りにしたい気持ちが働きます。このような持って回った表現を、性別二元論を自明視する社会の中で持ち出すことによって、「面倒くさいことを言う」とか「(性的存在として)成熟していない」と判断されることが多々あるのは経験則から理解しているのですが、性別二元論前提で運営されている社会で生きること自体が結構な無理ゲーなのです。
「ノンバイナリージェンダー」という言葉が世の中で広く知られるようになったのは、私は四十代を過ぎていましたが、この言葉に巡り合い、またそのように自認する人々の存在を知って感じたのは、「この言葉に十代、二十代で知っていたら、自分を責めたりせず、もう少し苦痛を感じずに生きてこられたのかもしれない。」ということです。
「女性として」、あるいは「男性として」、「何かが足りない」とか「らしくない」と周囲から身勝手に判断・査定される言動は、それ自体が強烈なハラスメントですが、それらの言動に正当な根拠があるかのように思い込まされて、何も言い返せない。特に十代、二十代の頃はそんなことの繰り返しだったように思います。社会の中でどのような局面においても性別を決め付けようとしてくる強圧に対して、男/女という枠組み無理やりあてはめる必要はない、という態度を示せるものとして、またそれをパスポートや運転免許証のような公的な書類の上にも記せるものとして、「ノンバイナリージェンダー」という言葉を差し出されていたら、心を軽くできる人が沢山いるはずです。
『ジェンダー・クィア』も、拙著『ジェンダー目線の広告観察』も、表現の仕方は異なりますが、性別二元論が支配する社会のジェンダー規範に抗い、個としての心身と尊厳を守って生きられるようにしたい、そんな社会を実現したいという想いは共通しています。
拙著の第1章の末尾で引用しているアメリカの作家、アロック・ヴァイド・メノン(Alok Vaid Menon 1991-)(パフォーマンスアーティスト、メディアパーソナリティ、トランスフェミニン)の言葉を紹介しておきます。
 

性別二元論とは、二つの別々の、相対する性別しか存在しない、という文化によって規定されてきた考えであり、このような考え方が、既存の権力システムによって支えられ、対立と分離が生み出され、創造性と多様性が阻まれているのです。(中略)問題は、ジェンダー・ノンコンフォーミングな(ジェンダー規範に異議を唱え、従わない)人が、男性や女性になり損ねていることではありません。何よりもまず、私たちを評価する基準こそが問題なのです。

Beyond the Gender Binary, (Penguin Random House, 2020)


Maia Kobabe, https://www.instagram.com/p/Cw8BW5HR7K3/


私たちは、自分たちの存在を主張し、伝える言葉を、物語を必要としています。私たちの言葉を奪い、その存在を見えなくさせようとするバックラッシュの強大な力が働いているのも事実です。『ジェンダー・クィア』がアメリカの公共図書館、教育機関の図書館で検閲され「禁書」として扱われているのもそういった動向の表れです。
個人の創作や言論活動の力は、確かに微力で、わずかな影響力しか持たないのかもしれません。しかし、私達は安易に諦めて、言葉を手放して無気力に陥ってはいけないのです。綺麗事を並べていると言われるかもしれません。しかし、大人が理想を語らなければ、これからを生きる子どもや若い人たちに何が伝えられるでしょうか。

現時点で目標額の半分を目前にしています。目標額に到達すべくこれからも頑張って参りますので、引き続き周知の協力や支援を賜りますようよろしくお願いします。また、クラウドファンディングのページに応援コメントを掲載していきたいと考えておりますので、ご協力いただける方は是非ご一報ください。
 

達成率折り返し目前です!SNSシェアへのご協力をお願い致します!!

2023/09/25 11:05