わたしたちは生まれてすぐ、わたしたちが自分自身と出会うより遥か前に、わたしたちに性別なるものが付与され、社会のなかで養育される性別として振り分けられてしまいます。 そして、わたしたちはどの性別の人と恋愛をするべきであり、どのように振る舞い、大人になったらどんな役割を引き受けるべきか、沢山のことを期待されます。
多くの人は社会から期待されるその性別の一人として、不平を持ちながらも、なんとか生きていくことができるようです。 しかし、ごくごく少ないながらも、付与された性別では思うように生きることができず、つまずき続けてしまう人もいるのです。 あまりにも少なすぎて、たんに個人の問題として見過ごされてきた人たちです。その人たちは幼いころから、何度も何度もつまずきます。 その人たちの仕草を、選択を、表現を、将来の夢を、親から、先生から、周りの子たちから否定されたり、バカにされたり、矯正されたり、禁止されたり、そんなことの繰り返し。 「わたしはダメな子なの?わたしは何故うまく生きられないの?」 その人たち自身も、成長するなかで出会っていく自分自身の姿が、この社会では肯定や歓迎されることがないことに戸惑いながら、たった一人きり孤独に生きているのです。
一方で、世の中の多くの人たちは、付与された性別のままに帰属する性別集団側の一員としてなんとかうまく生きることができているようです。そして、世界には彼らの物語が溢れています。 しかし、その人たちを巡る物語はどうでしょう。 殆どありません。 この自分自身を肯定してくれる言葉も、この自分自身を生きるヒントも、この自分と似た人が世の中にどれぐらい居てどんな人生を生きているのかを紹介してくれる物語も見つからないのです。
なるほど。 私は気が付きました。 わたしたちは、こうした本をもっともっと世に出すべきなのです。 どんな自分に生まれても、お互いに祝福し合い、夢と希望とともに生きることができる社会を作っていくために。
西田彩(音楽家・京都精華大学ほか非常勤講師 )