漫画家エメー・デ・ヨングの名前を私が初めて聞いたのは、2022年春のある朝のラジオニュース。34歳という若さで、長年の功績に対して贈られるオランダで唯一の漫画賞Stripschapprijsを受賞した、というニュースだった。この賞はこれまで、漫画家として数十年のキャリアがある作家たちに特別功労賞として贈られてきたもので、30代の若い漫画家の受賞は驚きをもって受け止められた。
年齢は若いが、エメーは既に学生の頃からアニメーターや漫画家として活動しており、国内外の漫画賞を多数受賞、グラフィックノベル『砂の日々』は第15回日本国際漫画賞の最優秀賞を獲得したという、今オランダで一番の実力派だ。その国際的な評価が、オランダでは異例の早さの特別功労賞受賞につながった。
あれから2年。オランダ在住の川野夏実さんから、エメーの最初のグラフィックノベル作品『ハチクマの帰還』を翻訳出版したい、というメッセージが届いた。川野さんがそれほどまでに日本の読者に届けたいと願うグラフィックノベルは、一体どんな本なのだろう?そう興味を抱き、私も早速原作を買って読むことにした。
届いた本の表紙には、爽やかな翡翠色の背景に、丸っこいくちばしで蜂を捕らえた鳥が宙づりに描かれている。表紙を開けてまず目に飛び込むのは、杭の上に立つ凛々しい鳥の姿。そして次のページでは鳥の頭がクローズアップになり、それから視線は花の蜜を吸う蜂に吸い寄せられる。
まるでネイチャードキュメンタリーのような冒頭場面からは、この先どんなストーリーが展開するのか、全く予想がつかない。すると、突然、主人公の怒声が響き、物語が動き出す。驚いた鳥が飛び去る。電話でひとしきり口論をした主人公が森へ森へと車を走らせていくと、場面は楳図かずお先生のマンガを想起させるような不穏な雰囲気に変わっていく。この先は異世界か何かなのだろうか…。
書店を経営する主人公シモンは、ある出来事をきっかけに、少年時代に起きた事件にまつわる後悔がいまだ自分を苦しめていることに気付く。あの時、自分が違う行動をとっていれば、あんなことにはならなかったのでは。自分の沈黙が、他人の人生を大きく変えてしまったのではないか。そして、自責の念に苛まれるシモンの前に、一人の若い女性が現れる。この若い女性は一体誰なのか。ここに、この作品の謎解きが隠されている。
エメーの作品の一つの魅力は、小説=ノベルであれば言葉で表現されるはずの物語の場面やディテール、登場人物の心象風景が、鋭い観察眼と描写力に裏打ちされた絵=グラフィックで余すところなく表現されているところだ。そしてもう一つの魅力は、社会問題であるいじめ、後悔と自責の念というパーソナルな苦悩、そして魂の救いという深淵なテーマを、ハチクマの翼に載せて、時には低く、時には遠回りしながら、時には空を飛ぶ鳥の視点で、読者に語りかけてくれるところではないだろうか。
三浦富美子(みうらふみこ)
愛知県生まれ。2001年よりオランダ・ロッテルダム市に在住。現在は日本語教師として日本語補習校や語学コースで日本語を教えている。2023年1月にアムステルダムの出版社Van Oorschotより“Polderjapanner”をオランダ語で出版。
「ああいう、交遊、EU文学」でのインタビューの様子
https://eubungaku.jp/interview/netherlands/fumiko-miura/
三浦さんが運営されている日本語教室
Nihongo Labo Rotterdam
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